[Novels]

[Short story]

風の王女の旅支度

Shilegizand the Gusty wind


 泰平の海を治める東のエルフの女王、イグリザンド。その娘であり東のエルフの王女であるシルギザンドは、再び旅の支度をしていた。

「……全く、厄介なことをしでかしてくれるわ」

 そのキッカケとなったのは、彼女が東の島で休養を取っていた最中に伝令使より届けられた一通の便り。差出人は、ユーゴルドキア大陸の西部に住まうホビット族の議長ラニャーマ=ゼラギア。

 ホビット族が何故、東のエルフ、それもシルギザンドに便りなどを送ってきたのか。シルギザンドも初めは不思議に思っていたのだが、中身を読み終えると、全ての納得がいった。これは私にしか出来そうもない仕事だな、と。

「今度は一体何処に行くつもりなのですか、シルギザンドよ」

 旅支度を着々と進める彼女の許に訪れたのは、泰平の海の女王イグリザンド。シルギザンドはイグリザンドに一瞬だけ視線を送る。だがすぐに視線を手元に戻し、旅支度を続けながら片手間に言葉を返した。「大陸に行く予定です」

「大陸ですか。アレンティアにまた行くということですか?」

「いえ、ユーゴルドキア大陸です。ホビット族の国、エルサムガスクに」

「であると霊峰パルトゥーニを越えるのですね。……大丈夫なのですか?」

「はい。あの山は幾度となく越えてきています。慣れていますので、心配はご無用です」

「ですが」

「大丈夫です、母上。ですから」

「分かっております。ですがね、シルギザンドよ。あなたはあまりに落ち着きがなさすぎます。もう少しここで休んでいっても、いいのではないでしょうか?」

 シルギザンドに歩み寄ってきたイグリザンドは、シルギザンドの白く細い手を握る。シルギザンドの白い手には細やかな傷痕が残されており、その傷痕たちをなぞるように、イグリザンドはその手を優しく撫でるのだった。

 シルギザンドは、祖国に居ることがあまりない。それは彼女のあだ名が「風の王女」である所以でもある。風の吹くまま、気の向くまま。流れに身を任せて、各地を転々と旅してまわる。流離いのシルギザンド。そう呼ぶ者も居るという噂を、風の噂で聞きもするくらいだ。

 だからこそイグリザンドは、そんなシルギザンドが心配でもあった。いくら弓の名手とはいえ、旅に慣れているとはいえ、いつかどこかで。そう考えるだけで、気が気でない。こうしてシルギザンドが島にいるときは気も安らぐのだが、それも束の間。三日も経てば、すぐにシルギザンドは別の地へと旅に繰り出すのだ。

 けれどもそんな母の憂いを知ってか知らずか、シルギザンドは一蹴する。急がなければならぬのですよ、と。

「エーライア神殿に納められていた竜の玉を、何者かが破損したようなのです。その為に、海の守護者である竜が理性を失い、エーライア神殿付近で暴れているとのこと。竜の玉は謂わば、竜の理性を司る脳に値します。ですので早くに神殿へと参り、竜の玉を修理せねばならぬのです」

「シルギザンドよ。何故、あなたが行かなければならないのですか」

「それは私にしか出来ないからです。過去にエーライア神殿の竜の玉が壊された際に、修理をしたのはこの私です。やり方を知っているのは私しか居ないのです」

 シルギザンドの黒い瞳が、じっとイグリザンドを見つめる。

「そうですか。ならば、仕方ないでしょう」

 故にイグリザンドはまた許すしかなかった、娘の旅を。

「無事に帰ってくるのですよ。……汝の往く道に、竜神の加護があらんことを」

「はい。母上」

 そしてまたシルギザンドは旅に出る。

 まさかこの旅が思わぬ展開を迎えることになるとは、この時の彼女に知るよしもなかった。


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